仏教の基本 1

 意外と知らないと思うのですが、「先祖供養」はインド仏教では 教えていないのです。この先祖供養の教えはお釈迦様の教えでないのです。

私たち日本人の多くは勘違いしているのです。

お盆もお墓参りも、仏教の習慣だと信じているでしょうが、お釈迦様の教え とは無関係なのです。 今日は、この「先祖供養」「仏教」との関係に触れ て見ましょう。

仏教の基本となるお釈迦様の教えは沢山あります。その教えはお釈迦様が苦 行を重ねてくれて、「悟り」を開いたことから、「輪廻思想」も前提とし て、生まれて死ぬまでのプロセスを人間の宿命であると同時に、この世に生 まれて生きること自体を苦しみました。

四苦である、生・老・病・死は誰もが通る道です。この四苦は人間の宿命で ありますが、お釈迦様のお陰で私たちが人間として生きているなかで、「輪 廻」とも深い関係があるという思想が生まれたのです。

では、この仏教が目指す最終目的はなんでしょうか。悟りを開いてこの輪廻 転生から卒業することです。ですから、私たち人間は何度も生まれ変わり、 魂の成長をしていますが、この輪廻転生を繰り返す必要が無くなるのが分か るときに、本当の幸せになれると仰っています。この輪廻を繰り返すから卒 業するには、「解脱」する必要があります。その為にさまざまな修行が用意 されています。

お釈迦様の生きていた時代のお釈迦様の思想は新興宗教と同じ扱いをされま した。

それは、人間は解脱(げだつ)できないかぎり肉体は死んでしまうが、ある 一定の期間をあの世という地点にてお休みして、この世に輪廻転生している という思想は、人間が輪廻する際に、前世、現世、来世との間に接点がない と証明出来ておりません。

スピリチュアリズムを学び、受け入れている人たちにとっては「霊魂」の存 在となるでしょうが、お釈迦様は霊的自我としての霊魂の存在を認めていま せんでした。 スピリチュアリズムでは「霊魂」こそが輪廻思想の原点であ るはずですが、それをお釈迦様は認めていなかったのです。

さて、この輪廻思想はこの辺りにしましょう。

では、お釈迦様の仰る思想に沿って行くと「現世にて必要のなくなった借り 物である肉体は単なる抜け殻」であるならば、この死体は火葬にして捨てて も良いとなりますし、インド仏教では火葬にして川に灰を撒いたり、山に 持って行ったりして、死体→火葬→(遺言などない場合は)それで終わりで す。

骨には何の意味もないのです。この点については本来のスピリチュアリズム と同じでしょう。

ですから、仏教ではわたしたち人間はこの世に生きている間に「悟り」を得 なければ、輪廻して、世界のどこかにまた、人間として生まれ変わることに なるのです。仏教の死後はあの世でもこの世でもない空間の時間に入り、そ の長さは49日とされています。その間に次に生まれる場所を決めることに なります。

良い場所に生まれ変わりたいならば、僧侶に依頼して供養して貰います。供 養は初7日に始まり、7日毎に行われて、49日目に、その人の生前の行い などや善悪と共に次に生まれてくる場所が決まるとなります。

どこに生まれ変わるとなると仏教では6つの界があります。
苦しみの多い順から、�地獄界、�餓鬼界、�畜生界、�修羅界、�人間界、�天上界です。

これを書くとかなり長くなりそうですから、もっと先に進みましょう。

本来の輪廻思想であれば、お墓もお仏壇もお位牌も必要ないとなります。

日本の場合は宗教もメイドインと呼ばれるものは「神道」だったり、自然界 を拝む宗教だったりでしょうか。仏教でさえもさまざまな要素の寄せ集めか ら成り立っている様子です。ある宗教研究者によると日本仏教の多くの要素 はインド仏教とは無関係な先祖供養が占めていて、あとの一割がこころの救 いになる教えと、あとは祈願的な教えから来ているそうです。

インド仏教のお釈迦様の教えから離れてしまった理由は、仏教が栄え始めて いた鎌倉時代道元師によって禅が中国から日本へ伝えられたからでしょ う。

インドから達磨さんが中国に、インド仏教を持って行きます。そのときの武 帝は古来からの道教を捨てて仏教信者となった帝でした。

中国はもともと「シャーマニズム」もありましたが、「儒教」が根付いてい ました。

一時期、インド仏教は中国でも流行ったようですが、儒教の特長で先祖霊崇 拝や葬式を重要しするという宗教だったの

余談ですが、多くの韓国人がこの儒教がベースですから、 先祖霊を供養するのですが、先祖が多くてキリスト教になる人もいると聞い て驚いたことがあります。

その儒教の影響を受けている中国仏教が日本に伝来されているので、「先祖 霊崇拝」もあると思います。

ですから、日本の場合は儒教民族宗教もインド仏教もミックスされた独特 な宗教と言えます。

この日本仏教は先祖供養であると共に、死後の霊魂の存在も認めています。

しかし、この霊魂に関してはインド仏教も中国仏教も明確にしておりませ ん。

でも、先祖供養の必要性を前提にしていることは、インド仏教よりもスピリ チュアリズムという意味では霊魂説などの面では近い場所にいるともいえる と言えます。

日本での問題点はお墓やお骨をとても大切にしてくれるのは良いとしても、 少子化問題核家族問題もありますし、お墓を立てる場所、お墓にかかる費 用も多大ですが、管理費やお寺への寄付も田舎ですと驚くほどの金額だった りします。先祖霊にしてもお墓やお骨に拘ることはないでしょうが、お寺を 維持して行く際にこの先祖代々等を出すことで、お寺も継続しているところ もあります。

先祖を供養しないと不幸になったりするという人もいますが、そうではあり ません。

神さまと、先祖霊と、私たちの輪廻思想とは別問題です。

霊的な意味での先祖供養とは皆さんとは繋がっていますので、自分がこの世 に再生したことへ感謝し、ご先祖様に感謝して生きること、そして、自分の 周りにいる方々に感謝しながら「あるがままに生きる」姿勢が、みんなも幸 せ、自分も幸せの法則でご先祖様もあの世から喜んでくれるでしょう。