IF WE HOLD ON TOGETHER

*************** *********** IF WE HOLD ON TOGETHER の 日本語訳 *************** ***********

日々の移ろいに 心くじけそうに なっても どうか自分を見失わないで 遥かな道をここまで生きてきたの だから 決してあきらめないで 信じて生きていれば夢はきっと叶 えられる 素晴らしい未来がきっと待ってい るわ 思いのままに生きて 信頼、希望 、栄光 あなたの 信ずるものをどうか 見失わないで

※力を合わせて困難に立ち向かえば 夢はきっと生き続けるわ 全てを越えていつか永遠の高み へといざなってくれる そこではきっと輝く白い雲が遥 かにたなびいているわ 二人のために

人の心も吹き渡る風も 時には行く手をさえぎられ折れる ことを学ぶでしょう それでも信ずる星を目ざして 最 後まであきらめないで 人生には山もあれば谷もある いつか救いの泉が流した涙をすべ てそそいでくれるわ 言葉はあまりに もろいけれど 人は敬虔な祈りを捧げる 安息の地を求めて

たとえ 闇に閉ざされても 私たちは輝く太陽を想うことがで きる 漆黒の暗闇の中にあってさえ 心を暖かく照らす陽の光を感じら れる それは全ての人に等しく与えられ た恵み

心を合わせて困難に立ち向かえば 決して絶えることのない夢が 遥かな永遠へといざなってくれる それは魂が到達しうる最高の高み 輝く雲の波が果てしなく広がり 二人を迎えてくれるわ

Don't lose your way With each passing day You've come so far Don't throw it away Live believing Dreams are for weaving Wonders are waiting to start Live your story Faith, hope & glory Hold to the truth in your heart

If we hold on together I know our dreams will never die Dreams see us through to forever Where clouds roll by For you and I

Souls in the wind Must learn how to bend Seek out a star Hold on to the end Valley, mountain There is a fountain Washes our tears all away Words are swaying Someone is praying Please let us come home to stay

If we hold on together I know our dreams will never die Dreams see us through to forever Where clouds roll by For you and I

When we are out there in the dar k We'll dream about the sun In the dark we'll feel the light Warm our hearts, everyone

If we hold on together I know our dreams will never die Dreams see us through to forever As high as souls can fly The clouds roll by For you and I

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仏教の基本 1

 意外と知らないと思うのですが、「先祖供養」はインド仏教では 教えていないのです。この先祖供養の教えはお釈迦様の教えでないのです。

私たち日本人の多くは勘違いしているのです。

お盆もお墓参りも、仏教の習慣だと信じているでしょうが、お釈迦様の教え とは無関係なのです。 今日は、この「先祖供養」「仏教」との関係に触れ て見ましょう。

仏教の基本となるお釈迦様の教えは沢山あります。その教えはお釈迦様が苦 行を重ねてくれて、「悟り」を開いたことから、「輪廻思想」も前提とし て、生まれて死ぬまでのプロセスを人間の宿命であると同時に、この世に生 まれて生きること自体を苦しみました。

四苦である、生・老・病・死は誰もが通る道です。この四苦は人間の宿命で ありますが、お釈迦様のお陰で私たちが人間として生きているなかで、「輪 廻」とも深い関係があるという思想が生まれたのです。

では、この仏教が目指す最終目的はなんでしょうか。悟りを開いてこの輪廻 転生から卒業することです。ですから、私たち人間は何度も生まれ変わり、 魂の成長をしていますが、この輪廻転生を繰り返す必要が無くなるのが分か るときに、本当の幸せになれると仰っています。この輪廻を繰り返すから卒 業するには、「解脱」する必要があります。その為にさまざまな修行が用意 されています。

お釈迦様の生きていた時代のお釈迦様の思想は新興宗教と同じ扱いをされま した。

それは、人間は解脱(げだつ)できないかぎり肉体は死んでしまうが、ある 一定の期間をあの世という地点にてお休みして、この世に輪廻転生している という思想は、人間が輪廻する際に、前世、現世、来世との間に接点がない と証明出来ておりません。

スピリチュアリズムを学び、受け入れている人たちにとっては「霊魂」の存 在となるでしょうが、お釈迦様は霊的自我としての霊魂の存在を認めていま せんでした。 スピリチュアリズムでは「霊魂」こそが輪廻思想の原点であ るはずですが、それをお釈迦様は認めていなかったのです。

さて、この輪廻思想はこの辺りにしましょう。

では、お釈迦様の仰る思想に沿って行くと「現世にて必要のなくなった借り 物である肉体は単なる抜け殻」であるならば、この死体は火葬にして捨てて も良いとなりますし、インド仏教では火葬にして川に灰を撒いたり、山に 持って行ったりして、死体→火葬→(遺言などない場合は)それで終わりで す。

骨には何の意味もないのです。この点については本来のスピリチュアリズム と同じでしょう。

ですから、仏教ではわたしたち人間はこの世に生きている間に「悟り」を得 なければ、輪廻して、世界のどこかにまた、人間として生まれ変わることに なるのです。仏教の死後はあの世でもこの世でもない空間の時間に入り、そ の長さは49日とされています。その間に次に生まれる場所を決めることに なります。

良い場所に生まれ変わりたいならば、僧侶に依頼して供養して貰います。供 養は初7日に始まり、7日毎に行われて、49日目に、その人の生前の行い などや善悪と共に次に生まれてくる場所が決まるとなります。

どこに生まれ変わるとなると仏教では6つの界があります。
苦しみの多い順から、�地獄界、�餓鬼界、�畜生界、�修羅界、�人間界、�天上界です。

これを書くとかなり長くなりそうですから、もっと先に進みましょう。

本来の輪廻思想であれば、お墓もお仏壇もお位牌も必要ないとなります。

日本の場合は宗教もメイドインと呼ばれるものは「神道」だったり、自然界 を拝む宗教だったりでしょうか。仏教でさえもさまざまな要素の寄せ集めか ら成り立っている様子です。ある宗教研究者によると日本仏教の多くの要素 はインド仏教とは無関係な先祖供養が占めていて、あとの一割がこころの救 いになる教えと、あとは祈願的な教えから来ているそうです。

インド仏教のお釈迦様の教えから離れてしまった理由は、仏教が栄え始めて いた鎌倉時代道元師によって禅が中国から日本へ伝えられたからでしょ う。

インドから達磨さんが中国に、インド仏教を持って行きます。そのときの武 帝は古来からの道教を捨てて仏教信者となった帝でした。

中国はもともと「シャーマニズム」もありましたが、「儒教」が根付いてい ました。

一時期、インド仏教は中国でも流行ったようですが、儒教の特長で先祖霊崇 拝や葬式を重要しするという宗教だったの

余談ですが、多くの韓国人がこの儒教がベースですから、 先祖霊を供養するのですが、先祖が多くてキリスト教になる人もいると聞い て驚いたことがあります。

その儒教の影響を受けている中国仏教が日本に伝来されているので、「先祖 霊崇拝」もあると思います。

ですから、日本の場合は儒教民族宗教もインド仏教もミックスされた独特 な宗教と言えます。

この日本仏教は先祖供養であると共に、死後の霊魂の存在も認めています。

しかし、この霊魂に関してはインド仏教も中国仏教も明確にしておりませ ん。

でも、先祖供養の必要性を前提にしていることは、インド仏教よりもスピリ チュアリズムという意味では霊魂説などの面では近い場所にいるともいえる と言えます。

日本での問題点はお墓やお骨をとても大切にしてくれるのは良いとしても、 少子化問題核家族問題もありますし、お墓を立てる場所、お墓にかかる費 用も多大ですが、管理費やお寺への寄付も田舎ですと驚くほどの金額だった りします。先祖霊にしてもお墓やお骨に拘ることはないでしょうが、お寺を 維持して行く際にこの先祖代々等を出すことで、お寺も継続しているところ もあります。

先祖を供養しないと不幸になったりするという人もいますが、そうではあり ません。

神さまと、先祖霊と、私たちの輪廻思想とは別問題です。

霊的な意味での先祖供養とは皆さんとは繋がっていますので、自分がこの世 に再生したことへ感謝し、ご先祖様に感謝して生きること、そして、自分の 周りにいる方々に感謝しながら「あるがままに生きる」姿勢が、みんなも幸 せ、自分も幸せの法則でご先祖様もあの世から喜んでくれるでしょう。

損して徳とれ

損して得とれ 損して徳とれどっちが本当?

損して得とれ,と言われますが, 昔は,損して「徳」とれ,という意味だったそうです。

 損してでもやればいつか得をするという意味ではなく,損してでも一生懸命行えば人々が認めてくれて,よい仕事がまわってく

るという意味なのです。(知ってましたか?)とにかくなんでもよいのです。 よい仕事をすることです。一つ一つの仕事を一生

懸命にこなしていけば,必ず次につながるのです。それをやっているけれども,でもダメです。 そういう方もいるでしょう。

 それは,まだまだ足りないのです。また,どこかに待っていれば仕事がもらえるという依存心もないでしょうか。少しでも依存

心があると,仕事はこないのです。仕事が仕事を呼ぶ。 今を一生懸命がんばりましょう!

   では、この「徳」とは、一体なんでしょう。

「徳」とは。儒教の教えです 端的に云えば、次の五つの「徳」 (仁・義・礼・知・信) の実践にあるのです。 

「仁」  人を思いやる心 

「義」  正義を貫く心   

「礼」  礼を尽くす心  

「知」  知恵を磨く心  

「信」  人を信じる心 

 この五つを実践せよ! と云うのが儒教です。

「徳」にはこの他に  「孝」 ・ 「忠」 ・ 「恵」 というものもありますが、そもそもそれらを包括する 「徳」 

と云うのは一体何でしょうか? 

広辞苑によると、 

(1) 心に養い身に得たところ。人道を悟って行為に表わすこと。 

(2) 道徳的に善い行為をするような性格の習慣。 

(3) 生来有する性質、天性、品性。 

(4) 人を感化し敬服させる力。とのことですが、どうもピンと来ませんよね。 

「徳」という言葉は、頻繁に使われていますがいざ「徳とは何ですか?」と問われると、一発で答えられる人は殆どいないでしょう。

でも 「徳」とは、 「素直な心で素直に生きよ!!」 「真直ぐな心で真直ぐに生よ!!」つまり、「曲がった心でヒネクレテ生き

るな!」 ということのようです。これならわかりやすいですよね。 でも、その徳をもう少し具体的にみてみましょう。   
「人を思いやるに素直であれ!」  ⇒ 仁  

「正義を貫くに素直であれ!」   ⇒ 義  

「礼を尽くすに素直であれ!」   ⇒ 礼  

「知を磨くに素直であれ!」    ⇒ 知  

「人を信じるに素直であれ!」   ⇒ 信

この五つの実践徳目、即ちこれが「五徳」ということになるということです。

 では、この 仁・義・礼・知・信 の五徳ですが、論語を読んでも、孔子はどうもこの五つの徳目を同列・並列には論じていな

いようです。

 図に描くとわかりやすいのですが。しっかりした土台(基礎)があり、4本の柱から成る家を想像してくださいね。   土台

(基礎)の部分です。仁が土台です。孝・忠・恵はこの仁の一部ですまた、仁≒愛、仁≠利己愛、仁=利他愛なのです。   

4本の柱は、義の柱 礼の柱 知の柱 信の柱です。   

その上に徳の屋根というか、家全体が「徳」なのですこの構図はしっかりと理解し覚えておいてくださいね。

ここが解っていないとダメですよ。90%の人がここで躓づいてしまい、単なるもの知り、知っただけにに終わってしまっているです。

損して徳とれもう一つ、『たらいの水の原理』(例話)です。二宮尊徳翁の有名な話です。知ってますよね。 たらいに入った水を、 
全部自分のほうに寄せようとすると、 自分のところまで来たと思ったら、 手前の縁に当たって、 すぐに 縁伝いに自分から離れ

ていく 水を相手側に送ると、 相手側の縁に当たった水が 縁伝いに波に揺られて 自分のほうに集まる 水を相手側に送り続けれ

ばその波は止まらないですね。   

相手が笑顔になることを、 誰かが笑顔になることを、 続けていれば、 それはやがて  大きなものになって自分に返ってくる。

  「他が生かされる道は、我が生きる道なり」 世の中のすべての「仕事」や、すべての「企業」と言われる組織は、必ず

どこかで誰かが笑顔になるから、成り立っているのです。 一生懸命かき寄せていませんか。向こうへ押しやりましょうね。

 知ったこと、知ってることは、実践しましょうね!

さて、わたしは・・・・・  また、これを読んだあなたは・・・・・共感し、いいと思い、これならできるよ、と思ったらやってみ

ましょうよ。続けていると何かが起きてくると思います。

今日も一日、明るく、元気に、仲良く、喜んで取り組んでいきましょう

『いきる目的は?』

菊谷先生のメルマガでタイトルの質問がなされました。
数人の書き込みが有るのですが、誰一人として質問に答えている人はおりません。かといって、素直に分かりませんと言う人もおりません。おそらく読者には素直に分かりませんと言う人も沢山おられるのでしょうが、どうも人前で自分の意見を好んで発言するような人には素直な人は少ないようです。発言者の多くは自分流の屁理屈を並べて悦に入っているようです。
しかし、この『生きる目的は?』と言う問に対する答えは簡単だけど難しいのです。それは、仏教をちゃんと学んでいない人の答は千差万別だからです。ちゃんとした仏教を学んでいる人の答は一緒なんです。元々釈迦の説いた仏教とは『絶対の幸福』に導くための方法論を説いているのですから。
人々は何を目的に生きているのかというと、それは『幸せになりたい。』と願って生きているのです。誰一人として、不幸になるためや、苦労したいが為に努力する人はないでしょう。概ね普通の人(ちゃんとした仏教を学んでない人)の幸せ=生きる目的とは、健康で家族や友人に恵まれて素敵なお家に住んでお金は有り余るほど有って気に入った物が有れば即座に手に入れて自分の物にできる。

よいお天気です。

気持ちが良い天気です。
昨日松ちゃんの様子を見に行ってきました。かなり回復して、10日前に心臓の手術をしたようには見えないほど回復していました。
先程ご主人を亡くしたての奥さんを乗せました。
大好きなご主人を69才で亡くされて取り乱していました。
いつも別れは突然やってきます。