生き馬の目を抜く?

おはようございます。

昨日ふと題名の諺を思い出しました。
意味は『生き馬の目を抜く(いきうまのめをぬく)[=抉(くじ)る] 生きている馬の目を抜き取るほど、事をするのに素早いということ。また、すばしこく狡(ずる)いこと。油断ならないこと。』

私が子供の頃はよく年寄りが言っていた諺です。
「街の奴等は生き馬の目を抜くから、気を付けろ」とかよく言っておりました。

この度の『構造計算書偽造問題』を考えてみると、まさにこの通りだと思います。
事件事態に対する私の感想は、『まっ、こんなもんでしょう。』ですね。
だからこそ、あじさい事務所を立ち上げた訳ですから。

元々建築と言うと、町内に代々受け継がれた大工さんや左官さん、鍛冶屋さん等がいて、
ある一定の技術水準に達した大工さんが、棟梁大工として建築全体を取り仕切っていました。大工さんと言っても、様々なクラスが有って、私が腰袋を下げて現場に出ると見習い大工です。土木の現場では、型枠を作る人を型枠大工と言います。
昔は家を建てようとすると、町内の大工さん、いなければ近隣の町内の大工さんにしか依頼をしませんでした。それはそこに暮らしていて家族がいるからです。いい加減な仕事をすると、家族全体が批判の的にされる。不具合が出ても即対応して貰える。契約書なんぞ交わさなくても、お互いの信頼関係で契約は成り立っていたのです。

概ね建築に限らず、社会生活を営むならば、お互いの信頼関係がないと何もできないですよね。例えば私のしているバスのバイトですが、お客様は¥200円を払ってバスに乗ると目的のバス停まで移動ができる。ごくごく当たり前の事です。
これが乗ったバスが路線と違う所へ行ってしまったり、¥200円を払わなくて無賃乗車したりだったらどうでしょう?。
今回の構造計算書偽造事件はこういうレベルの問題なんです。
一級建築士の資格というのは、半公人的な性格を帯びた職業なんです。
つまり、社会的信用度の高い職業ですね。警察官がその職務中に窃盗をしたと同じような事です。建築確認許可を出した方も、まさか偽造をするなんて思ってもみなかったんでしょうね。悪いことをしそうで有れば、確認の申請書が出た時点で精密にチェックしたでしょうが、社会的信用度の高い一級建築士が作った計算書がまさか偽造されているとは思わなかったんでしょうね。
建築主事は申請の有った日から21日以内にその結果を判定して決定を下さなければいけません。(建築基準法
一級建築士が何ヶ月も作成するのにかかる書類を21日で判定しなきゃいけないのなら、同じ計算をするわけにはいきません。当然ながらある一定のチェックポイントだけをチェックすることになるのですが、悲しい事にチェックをする方は現場を知らない人がほとんどなんです。おそらく今回の偽造書類なんぞも、現場を取り仕切る設計士や現場監督なら、難しい計算書の是非は分からなくても、図面を見ただけで、『あれっ、この図面は柱の太さの割に鉄筋が少ないぞ』と感じるはずです。施工になると、現場の鉄筋職人でもおかしいと感じるはずです。
余談になりますが、阪神大震災で倒壊した三宮の駅前に有った神戸新聞会館の施工をしたお年寄りの話を聞く機会がありました。
そのお年寄りの話によると、工事は昼夜を問わずの工事だったにも関わらず、元請けの監督は5時になると帰ってしまっていたらしいです。
そこで、寒さしのぎの為にお酒を飲む事もしばしばで、その酒代を捻出するのに、監督が帰ってしまった後に施工してチェックが済んだところの鉄筋を抜いて、それを廃品回収業の人が毎日買いに来て、そのお金でお酒を飲んでいたらしいです。
間引きされた鉄筋がなぜ次の日にバレないかと言うと、現場監督が出勤してくる9時以前に生コンを流し込んでしまえば見えなくなる訳です。

そのお年寄り曰く、「間引きされた鉄筋しか入ってないのに、地震で潰れるのはあたりまえや」と言っておりました。

こんな話も有ります。
私の友人のO君は大学の建築科を卒業して民間の設計事務所へ就職しました。
彼の『思い』はあくまで現場に出たい、施主と直接会って満足される建物を造りたいでした。私との出会いは、私が建築会社の営業部長として勤務していた頃、施主様は喫茶店を作りたいとの希望で、私の設計能力では自信が無かったので、専門の設計士を人を通じて紹介して頂いてからの付き合いです。O君は非常に優秀な人材で、建築、土木、宅建と家に関する最高の国家資格を全て大学の在学中に取得していました。
私との共同プロジェクトの喫茶店も完成に近づいた頃、彼の所属する設計事務所の倒産の危機が来ました。彼は結婚してすぐの頃でしたが、別に気にするでもなく、この設計事務所が倒産しても、仕事をさせてくれる会社はいくらでも有るだろうと思っておりました。私も彼の能力なら引く手あまただろうと思っていたのですが、私が何で見たのかは忘れましたが、明石市役所の建築関係の専門職の募集の情報を彼に教えました。
30歳を越えようとしていた彼は、「中途採用でこの年齢、しかも、ツテもコネも無しで採用されるはずがない」と言っていたのですが、私が、「ダメモトやろ。一度受験してみては?」とアドバイスして、受験してみました。明石市役所は彼の卓越した能力を見逃しませんでした。「採用決定通知が来ました」との電話に私も驚きました。
彼は、あくまで民間で現場に出たいとダダをこねましたが、私が、「民間で仕事をするのはいつでもできる。許可を出したり検査をしたり、取り締まったりする立場に立つことも君の設計士としての肥やしになるのではないか」とのアドバイスに納得して目出度く明石市役所の建築関係の部署に再就職しました。
そのO君は、「市役所の連中って何も現場の事は分かってない。学校を出て市役所にそのまま就職したのだから仕方ないけどね」なんぞとこぼしておりました。
明石にはOと言う厳しい検査をする人がいる。あの人の検査はごまかしがきかないと、今では業者から恐れられる存在になっております。

だらだらとつかみどころのない文章になってしまいましたが、私の言いたいことはあくまで建築はもとより、社会生活全般にわたって人は信頼関係無しには社会生活を営めないと言うことです。
悲しいことに、その信頼関係を裏切る人も今昔に限らずいると言うことも現実なんですよね。
ただ、高度経済成長以来、丁度私がこの世に生を受けた1955年頃より始まった経済成長により、拝金主義の人が増えたのかも知れません。幸せの基準をお金や財産の量に頼る、お金さえ儲ければそれは成功であり、エライ人、そんな風潮が蔓延って来たように思います。

この書き込みも数日に渡って書き込んでいます。
12月14日、おりしも赤穂浪士の討ち入りの日に、国会で姉歯設計士、木村建設の社長と元東京支店長、それに総合経営研究所の所長が証人喚問していました。
テルルートについては有る程度表に出てきたのだろうと思います。
施主→総研→木村建設平成設計姉歯設計というところでしょうか。
総研の代表者はあくまで知らぬ存ぜぬを通すつもりみたいでしたけど、私財を投げ売って責任を取るのかとの質問に、そうしますとか何とか言っていたようです。
あくまで自分に責任が無いので有れば、私財を投げ売って責任を取らなくても良いのでは?と思ったのですが・・・・・。
姉歯設計士は一部歯切れが悪いところも有りましたが、腹を括った模様で、質問に真摯に答えていました。それに比べて他の人たちは責任逃れに終始して見苦しいことこの上が無かったです。
姉歯設計士のしたことは決して許される事ではありませんが、病弱の妻をかかえ、息子が今24歳だから、偽造を始めた頃は教育費もかかる頃だったのでしょう。
木村建設からの仕事が90%以上を占める状態で、偽造を強要され、一級建築士としての責任とプライドと家族の生活や病弱の妻の治療費との狭間に挟まれてさぞ苦悩した事でしょう。私には痛いほどその気持ちが判ります。

私が声を大にして言いたい事は、『これが小泉構造改革なのだ』と言うことです。

今回の偽造をした姉歯設計士も家族を幸せにしたいが為に設計士と言う職業でお金を稼いでいたわけですね。それがどうでしょう?今の状態で家族は幸せでしょうか?
答えは否ですよね。あれだけマスコミに騒がれると幸せどころか、平穏な生活もできないでしょう。姉歯と言う珍しい苗字を名乗っていると、みんなに即ばれてしまうから、おそらく、離婚して奥さんと子供たちは奥さんの実家の苗字を名乗ることになるでしょうね。
私がよく言う『本末転倒』の見本みたいな事ですね。