そういえば思い出しました。

おはようございます。
松岡農相の自殺事件に思いを馳せていたら思い出した事が有るのです。
まず、日本の農林漁業は衰退の一途を辿っていることは周知の事実です。衰退していく分野を支える為に色んな苦労が有るとは思いますが、そこに莫大な公的な資金が投入されていることは周知の事実です。つまり莫大なお金が国から出ているのです。これに魑魅魍魎が食らいつかない訳もなく、それが今回の事なんだろうと思います。
そこで私が思い出した事なのですが、昔ある人と論争したことが有るのです。その人は政府の減反政策について批判をしていました。その批判とは減反奨励金が少なすぎると言う批判なんです。減反奨励金とはお米の作付け面積を減らしたら国からお金が貰えると言う制度なんです。私もお百姓の息子ですから私の父も元気な頃は減反に協力していました。我が家の耕作面積は3反ほどでした。田んぼが3反(900坪)でどれくらいのお米が収穫出来たかと言うと、60Kgのお米の袋が25〜30くらいでしょうか。最高の30袋にしても1800Kgですね。これで我が家が6人と兄家族4人、姉家族4人、合計14人が食べるのです。概ね一人が年間に食べるお米が150kg(一石)ですから、150×14で2100Kgなんです。最高に収穫出来ても300kgが不足するのです。不足すれば買って食べます。当たり前ですけどね。有る年オヤジが言いました。我が家も減反政策に協力して減反していたのだけど、百姓が米を買うて食わなきゃいけないってのは、足らないのなら仕方がないけど、自家消費だけの農家とお米を出荷している農家が同じ割合で減反するのは合点がいかない。ウチは今後減反しないと村落の農業委員に対して宣言しました。となれば当然に減反奨励金は貰えない訳ですが、これは義務を放棄するのであるから権利を主張出来ないことくらいは納得の上での事です。当時としては画期的なんです。『村の決まり事』に意義を唱えたり、それに従わなかったりすることは『村八分』を覚悟した反乱、革命的な事なんです。因みに『村八分』と言うのは、葬式と火事以外は付き合いはしない、つまはじきにされることなんです。
お米作りってもちろん1次産業、製造業なんですが、他の機械や自動車などの製造業と根本的な違いが有るのです。機械系の製造業ならばその製造量に合わせて設備投資をするわけですが、お米作りに関しては3反百姓と3町百姓との設備投資の額はそんなに違わないのです。3町百姓の10分の1の我が家でも農機具は揃えなければいけません。トラクター、田植機、その他諸々で500万円ほどかかったのでしょうか。その機械がどれも我が家では年間の稼働時間が数時間しかないのです。費用対効果からすると膨大な赤字なんです。オヤジは赤字を補填する為に賃田スキをしていましたし、私は学生時代から秋になると農協のコンバインのオペレーターのバイトをして、我が家の分は空いた時間に刈り取りをして費用を節約していました。そんな努力をしてなんとか先祖からの田んぼを維持したのでした。それでも大赤字で、オヤジは商売で儲けたお金を田んぼにつぎ込んでいました。
話がそれました。m(_ _)m
それで、私がした論争なんですが、そのある人の愚痴についてですが、一人旅が好きな私はオーストラリアの穀倉地帯を見て悟ったのです。そこは麦畑だったのですが、一辺が2〜3kmも有る麦畑だったのです。日本なら増産しようとすると単位面積当たりの取れ高を如何にして増やすかを工夫しなければいけないのですが、オーストラリアの麦畑は飛行機で種まきをする範囲を広めるだけなんです。土地なんていくらでも有るのです。これじゃ日本の百姓がいくら努力をしても勝てるわけが無いと悟りました。お米や麦は保存ができるのでこれで勝負はできません。保存ができない分野へ方向転換しないと百姓の生き残る道は無いのです。FTAで無税で農産物が入って来ると、なんとか勝負ができるのは、都市近郊野菜か果物くらいでしょうね。戦後日本が安くて良い自動車を作って輸出したように、農業に関しては安くて良い農産物が外国より入ってくるのは仕方ないことなんです。百姓で生き残りたいので有れば努力や工夫をしなければいけないのです。それが何の苦労も工夫もせずに政府の減反政策の不満を愚痴っていても何も好転しません。その人には「あなたもお米だけ作らずに野菜や果物を作れば?」と言い返した事を思いだしたのです。お米を作っても、加工して出荷するとか、なんとか工夫すれば生き残る道は有ると思うのです。それを何の努力もせずに愚痴しか口に出来ない百姓は止めればいいのです。
でも、こんな不満だらけの人が1票持っているのですよね。この人達の1票の積み重ねが当選なんですよね。こうなれば議員=お金なんです。議員さんは当選を買う為にお金を集めなければいけません。そんな一つが今回の『緑資源機構』なのでしょうね。