『心の知識』

おはようございます。
台所の洗い物をしていたら、TVから親鸞とかなんとかというお話が聞こえてきました。親鸞ファンの私としては見逃す訳にはいきません。なんとなくBGMでかけていたNHK教育TVの『こころの時代』という番組で、同朋大学の講師の張先生が『宗教・人生「親鸞の涙に導かれて」』と題してお話をしていらっしゃいました。なにやら聞いていますと張先生は中国人だけど、親鸞の教えに魅せられて日本へ来て勉強し、歎異抄の中国語訳を中国で出版したり、今は教行信証 の中国語訳に取り組んでおられるとかです。皆さんご存じの通り仏教はインドが発祥の地で、中国を経由して日本にもたらされたものです。言うならば中国が先輩で日本が後輩なのに、なぜ中国人の張先生が親鸞なの?と思う次第です。おそらく中国にももちろん仏教は有るのでしょうが、それは大衆からかけ離れたものであり、大衆に分かりやすい教えは我が親鸞聖人なのかもしれませんね。ま、そんなことはさておき、張先生のお話は私にとってはとっても分かりやすいものでした。とっても頷いた事は、『頭の知識』と『心の知識』のお話でした。学校の成績が良いとか、記憶が良いとかは『頭の知識』であり、私がかねてより唱えております人間性とかの問題は『心の知識』の問題です。確かに日本は先進国中の先進国かもしれませんが、『心の知識的』に見ますと、後進国、いや、後退国と言うのかもしれません。変な人が多いのもこの『心の知識』の部分の欠落以外の何物でもありません。マルチを生業としている人を見ると、みこの『心の知識』が有ることさえ知らない、知ろうとしない人がおります。世の中お金が全てと金信心しかしない、お金こそが万能の神の如くあがめ奉る人の多いことには辟易とされます。『夢を実現する』と『欲望を満たす』と言葉は違うけれど、どこが違うの?と思うのです。私の元妻は新築の家が欲しいがために離婚を私に申し出ました。家庭を崩壊させてでも家が欲しいという要望を満たしたかったのでしょう。そしてこの度念願の新築の家を買ったらしいです。その家の中に入るのは誰なのでしょう?自分の欲望を満たすが為に家庭を崩壊させて、さぞかし幸せな生活が有るのでしょうね。これなどは『心の知識』の欠落以外の何物でもありません。私などは貧しくとも夫婦と子供が肩を寄せ合って生きていく方が幸せだと思っています。私は前職で霊柩バスの乗務員も経験しました。四角い棺桶の中はお花はいっぱい入っていますが、お金はもちろんのこと、家も財産も入れられません。生きている間はどんなにお金持ちでも偉い人でも、いざあの世に旅立つ時には白い死装束なんです。ベルサーチでもアルマーニでもありません。単なる木綿の着物なんです。出棺の時は二度と戻って来るなと、茶碗が割られます。生きている間は単なる中間なんです。生まれる時は誰しも裸で生まれて、死んでしまうと木綿の死装束なんです。『夢の実現』と名を変えた『我欲の実現』の為に嘘はつく、人を騙して金を手に入れる、他人の不幸は我が身の幸せの如く生きて行くことが良いことなのでしょうか?
ところで、先日のことでした。精神科のドクターが私のタクシーに乗ってこられました。かなりのご高齢です。話は車の中のアリウムエクセラの事となりました。ドクターは認知症で特許を取っているアリウムエクセラを指して、「こういうものは科学的な根拠が無い」と仰有ります。サプリメントと言うだけでこういった偏見を持って見ているんですね。短時間だし、反論もしようとも思わない私は聞いていただけなのですが、お医者にせよ宗教家にせよ、そのお仕事は『抜苦与楽』じゃないのと思う私は変でしょうか?私はタクシーと言う仕事で社会にご恩返しして、尚かつアリウムエクセラで苦しんでいる人たちの『抜苦与楽』に貢献できればいいなぁ〜と思っているのですが・・・・。