今日はオヤジの命日です。

おはようございます。
今日はオヤジの命日です。1995年の今日に亡くなりました。
今年は忙しくてお彼岸もお墓参りができなかったので、雨が降っていますがお墓に行ってこようと思っています。
それにしても、私が若い頃は、堅苦しいオヤジが嫌いでたまらなかったのに、ふと今の自分を見ると、オヤジそっくりです。(苦笑)DNAって馬鹿にできないですよね。
私のオヤジは農家の三男として生まれましたが、上の2人が戦死したにも関わらず、長兄として跡取りにはしてもらえなかったらしいです。祖父は私のオヤジが跡取りになると、何もかも無くしてしまうと危惧したようです。実際、私が小さな頃は競輪場へ連れて行って貰った事があります。きっと博打が好きだったんでしょうね。オヤジが若い頃は神戸の賭場に入り浸っていたと言う話も聞いたことがあります。そのいう私は、勝てる博打は好きなんですが、負ける博打の方が多いのでやらないことにしています。
博打といえばパチンコが手軽にできますね。でも、パチンコで首を吊ったり、破産した人は見聞きしますけど、大金持ちになったり、家を建てたりしたひとは、少なくとも私の知る限りいませんね。一時的には儲かることも有るようですが、結果的に大損してると思います。圧倒的に多くの人が損をしているのになぜするんでしょうね。自分だけは儲けれるとでも思っているのでしょうか?それに、パチプロと言えば、開店前から並んで、閉店までやってる人いますよね。仕事として見るのなら、12〜13時間働いているわけですから、もう、働き者ですよね。それだけ働くなら、他の仕事してもそこそこ稼げると思うのですが・・・。
話がそれましたが、オヤジは若い頃戦争に行きました。所属は海軍陸戦隊です。駐屯先はセレベス島だったとか。毎日監視塔でアメリカ軍の飛行機が来ないか見張っていたそうです。幸いにもアメリカ軍の飛び石作戦の飛ばされた方の島だったので、他の島へ爆撃に行った飛行機が帰り際に残った爆弾を捨てていく島だったらしいです。毎日計った様な時間に来るので、それ以外の時間は手作りの花札で遊んでいたそうです。一応高射砲で反撃はするらしいのですが、時速何百キロで飛んでる飛行機になんぞ当たる訳もないとか言っていましたね。それでも運悪く当たってしまって落ちてきた飛行機が有ったそうです。もちろん、補給は途絶えてるから捕虜なんぞに食べさせる食料が無いとかで、即処刑だったそうです。その処刑された乗組員の中には女性も含まれていたそうです。処刑のやり方は、鉄砲でやると玉がもったいないとかで、士官のが持ってる日本刀で首を切ったらしいです。オヤジが戦争で人が死ぬところを見た唯一の場面だったらしいです。そりゃもう見とれんかったと言うていましたね。そうやって毎日花札三昧の日を過ごして、給料と花札で戦友から巻き上げたお金、1000円を持って帰国したそうです。これで家でも新築しようと目論んでいたそうですが、博多港に着いて上陸して、空腹だったのでお饅頭をお腹いっぱい食べたら、その1000円はなくなってしまったと笑っていました。
さて、そろそろ出かける時間です。お墓に参って、11:30から旧知の友達とお昼ご飯を食べてきます。今日は命のリレーをしてくれたオヤジを思い出して感謝してお墓に報告してきます。