アホは罪作る。

おはようございます。
さて、今日は前から書きたかったテーマについて書こうと思います。
私は自分の事を決して賢人などと思って無いことをまず最初に申し上げておきます。
ここで言う『アホ』とは、知識レベルが低いとか勉強ができないとかの事ではありません。
私が言う『アホ』とは、反省をしないから同じ失敗を繰り返す、いつもネガティブだから、他人を羨ましがったり、妬んだりする人の事です。それに、失敗しても言い訳ばかりしたり、他人のせいにしたり、あきらかに自分の責任であるのに、『ごめんなさい』が言えない人です。見分け方は簡単です。その人が何か失敗した時は、『アホ』まず言い訳から話し出します。『アホ』ではない人はまず『ごめんなさい』から始まります。
私もよく失敗はします。そんな時まず謝罪から始めます。『ごめんなさい』と素直に謝って、相手が「どうしたの」と事情説明を求めてくるまで言い訳はせずにひたすら謝ろうと努力しようと思っています。
『アホ』の特徴としてあげれるのは、まず極端で独善的な『自己中心的思考』です。人は誰でも『自己中心的』ではありますが、『アホ』ではない人はそのバランスを知っています。つまり、やって良い事と悪いことの区別がつきます。『アホ』はその区別がつかないから、どこまでも極端でそれが悪いことだと思ってもみないことです。
お釈迦様の弟子がある日お釈迦様に質問をしました。「悪いことだと知って悪いことをするのと、悪いことだと知らないで悪いことをするのとではどちらが罪が重いか」と、お釈迦様はこれに答えて例え話をしました。「焼けた火箸を焼けていると知って掴むのと、知らないで掴むとではどちらの方が怪我が大きいか」。当然焼け火箸を掴むと大やけどをすると知って掴む方が怪我は少ないですよね。なぜ怪我が少ないか、それは将来予想が出来るからですね。それは経験値に寄るかもしれません。過去にそういうことを経験して、それが反省&経験値となっているからこそ、怪我の程度が低くなる訳ですね。『アホ』は反省しないからそれが経験値にもなって無いから、同じ怪我を何度でも繰り返す訳ですね。
次に『アホ』の特徴としてあげれるのは、『欲望』を制御できない事です。己の『欲』を満たすためには、他人を平気で踏みつけたり、傷つけたり、極端な場合は殺したりします。後でなぜそんな事したのだって聞けば、返ってくる答えは必ず、「自分がそうしたかった」ですね。つまり、極端な自己中心的思考が悪いことだと露程も思って無いことです。自分の言動が将来にどんな影響が出るか考えもしないことですね。その思考の中心にはいつも『自分』がいるから、他はどうなろうとお構いなしですね。
悪人が自分が悪人だとは思わないように、『アホ』も自分が『アホ』だとは決して思わないことです。歎異抄に有る『善人往生をとぐ、いわんや悪人をば』と同じように、自分が悪人だと思っている人はそんなに悪人ではない。自分が善人だと思う人ほど悪人が多い。
概ね『アホ』は頭が高いですね。『実るほど頭を垂れる稲穂かな』でありたいものです。
私なりの『アホ』論を述べてみましたが、なんかもの足りません。これについては後日加筆しようと思います。