拝啓、中内様

おはようございます。
ダイエーの創業者、中内功氏が亡くなりましたね。また、時代のシンボルが無くなった様で
寂しい思いがします。
もちろん、私は中内氏とは面識も出会った事も無いのですが、我々世代の寵児とでも言いましょうか、今で言えばソフトバンクの孫氏かライブドアーのホリエモンか、兎にも角にも一種のシンボルでした。
謹んでご冥福を祈りたいと思います。
いつの頃かは知りませんが、おそらくダイエーの神戸店の開店時期だと思うのですが、中内氏が当時印南郡志方町、今の加古川市志方町の故上田テルオさんを訪問したそうです。
当時は神戸の1スーパーの経営者だった中内氏が、牛肉の安売りをメインコンテンツにして
スーパーをやりたいと言う申し出に、他の牛肉卸の業者は相手にしなかったそうです。上田テルオさん経営の「ウエテル商店」だけが中内氏の話を真剣に聞いて、「話はよく分かった、あんたに協力する」と快諾したそうです。「あんたの店が必要なだけ牛肉を納品したろ」と交渉が成立したそうです。神戸牛って有名なブランドなんですが、その実は、但馬で生産した肉牛を志方で牛肉に加工して、神戸で販売ですね。今は、各地の肉が販売されてるようですが、当時のお肉の流通経路ってそうだったらしいです。現在でも神戸のお肉屋さんは志方町の出身者が多いと思います。ダイエーが大きくなるにつれて、但馬の牛だけでは足りなくなって、大型トラックで毎夜毎夜鹿児島から牛を運んできたトラックが私の住んでいた県道を走っていたのを覚えています。今でもそうですが、昔も牛肉って高級食材でした。その高級食材を安く消費者に提供してダイエーは大きくなったと聞き及んでいます。
おそらく、全国から牛肉を集めてもまだ足りないから、ウエテルさんはオーストラリアの牛を飛行機に乗って、あの群れとこの群れとと言って買い付けていたそうです。ダイエーの成長と共にウエテル商店も大きくなったのでしょうね。
20年ほど前かな、上田テルオさんが亡くなって数年後にウエテル商店も倒産しました。
生者必滅 会者定離 盛者必衰の理を顕すものですが、時代の変遷、諸行無常を感ぜずにはおれません。