坊主に説教しちゃいました。(^^ゞ

おはようございます。
区役所からお手紙が来ていたので開けてみました。区役所からの郵便物なんて極道息子と同じで、顔見たら金を出せだからあまり嬉しいものでは無いのだけれど、放置しておくわけにもいかず、それというのも神戸市の取り立ては厳しいんです。夕張市の次は神戸市なんだと噂されるくらい借金が多いらしいです。おおむね3兆円の借金があるらしくて、神戸市規模の自々体としては2兆円が限度なのに、1兆円超過しているらしいのです。そこで市県民税の額なんですが、見て唖然としました。というのも所得税が少なくなって地方税が高くなって、差し引き同じだなんて聞いていたのですが、何が同じなものですか。市県民税は去年の5〜6倍にもなっていて、課税所得金額の10%も有るではないですか。もうこれじゃ『死ね』と言わんばかりです。小出しに取られているから実感は無いかも知れませんが、色んな税金や保険を計算すると、おそらく収入の70〜80%くらいがお上へ払う『年貢』でしょうね。江戸時代に百姓一揆が多発したときは、6公4民や7公3民で当時生産の中心のお百姓は一揆を起こしたのに、今の生産の中心のサラリーマンは文句も言わずに払っているんです。ホント日本人って大人しいですよね。何とか4000万円作ってオーストラリアへ移住したいです。オーストラリアの永住ビザは55歳を越えてオーストラリアの銀行口座に4000万円有れば出るそうです。オーストラリアの所得税は30%で、これに消費税が有る程度です。物価は5分の一〜10分の一、ボランティアで日本語を教えたり、公園の草引きしたり、パブリックのゴルフ場で遊んだり、酷税の日本よりはずっと人間的な生活が送れるでしょうね。こういう話をすれば、病気になったらどうするんだなんて言う人がいますが、病気にならなければいいだけだし、なっても主要都市には必ず日本語の通じるドクターや日本語の使えるスタッフがいます。日本人関係が見受けられなかったのはアリススプリングス(中央部の砂漠の真ん中の街)くらいでした。ちなみにオーストラリアでは日本食が大人気なんです。寿司はもちろんですが、日本のカレーが人気有るんです。インドカレーとは別の食べ物と捉えられて、ファーストフードの仲間として認知されてます。パースのカレー屋さんなんてオープンしてからクローズするまで毎日ずっと行列のできる店でした。肉、じゃがいも、たまねぎ等を使う料理は彼らにはなじみ深いのでしょうね。そこのカレーの味はハウスバーモントカレーの甘口の味でした。(^_^;)
さて『酷税』やカレーのお話は横に置いて、タイトルのお話です。
その日は霊柩バスの乗務でした。会館へ到着してみるとお坊さんがお一人出てこられました。予定より30分も早かったもで、「あれっ、もう終わったのですか?」と尋ねると、そのお坊様は、「いや、お勤めはご住職がなされています。私はご住職が忙しいので斎場のお見送りを担当します」「斎場へはバスの後を付いて行きますから、よろしくお願いします」とご丁寧な挨拶です。私は万が一はぐれた時の為に道順を書いたメモを渡しました。聞くと神戸からおいでだとか。お寺は氷上郡だけど、神戸で住職以下3人で出張してきて、その会館のチェーン店で普段お寺とお付き合いの無い人のお葬式を請け負ってるとかです。そのお坊様の自家用車はトヨタのビッツなんですが、住職の真っ黒のピカピカの新車のプリウスを眺めているのです。「いい車ですよねぇ〜」なんてささやいています。そこで私は「ビッツだって良い車ですよ。燃費はいいしね。それに私がこんな事を言うのは『釈迦に説法』で失礼だとは存じますが、『少欲知足』の観点からしてもビッツで十分じゃないでしょうか?」と言うと、その若いお坊様は一本取られたと言う表情で苦笑いをしていました。この日の遺族のみなさんは珍しく、バスの中で笑い声がしてるのです。お話も盛り上がって、お坊さんのお布施のお話をしていました。亡くなった人は生前に院号を頂いていたので戒名だけでお布施が30万だったとか。これが院号+戒名だと100万円だとか、私も若いお坊様に宗派を聞いていたので、真言宗だからそれくらいだろうと思いますが、なんと同じ仏教なのに浄土真宗とは違いますね。私のお寺の『正念寺』はお葬式の時のお勤めと法名で5万円くらいかな。それも収入に応じて、お年寄りだけの世帯とか、生活保護を受けている人の場合はお布施無しの場合も有るとかです。なぜ、真言宗浄土真宗ではこんなに違うのか?それは浄土真宗が浄土系の所以です。つまり、布施には2種類の布施があって、僧が在家の人にする布施が『法施』、逆に在家の人が僧にするのが『財施』なんですね。あくまで『法施』ありきで『財施』なんですよね。それに在家の『財施』で最も尊いものは『顔施』(笑顔)なんです。阿弥陀如来のお顔はなんとなく微笑んでいるでしょ。あれなんです。それに、『長者の万塔より、貧者の一塔』なんですよね。そりゃ浄土真宗のお坊様も色んな人はおられますが、教えの根本はこれなんです。
しかしながら、霊柩バスの運転手如きにたしなめられたお坊様のご心中をお察し申し上げます。(^_^)v