『〜として』してはだめ。

おはようございます。
2〜3日前から白ワンちゃんの代わりの人が同乗指導を受けています。私と同じく元バスドラらしく、バスの運転士からの転職らしいです。バスと言わずトラックもですけれど、もう運転手ではメシを食っていけない時代なんだぁなんて再認識しました。バスもトラックも会社からの『あてがいぶち』だから、もうそれだけでは生活ができないのです。タクシーは法律違反になるけれど、自分が要領よく仕事をすると生活ができるのです。こうやって旅客輸送や貨物運送の第一線から熟練のドライバーがいなくなっているんでしょうね。会社としても燃料の高騰をどこで吸収するかといえば、もう乗務員の給料を削るより仕方がないのです。客からは値下げを求められ、燃料はバンバン値上がりする。経営者も苦しいのでしょうね。となると物流コストを引き上げなければどうしようもなくなる、物流コストが上がれば全ての物価が高騰する。いよいよ私のような貧乏人は苦しくなるばかりです。
さてタイトルの件ですが、昨今の時代背景を勘案するに、してはいけないこととして良いことの区別がつかない人が多いようですね。私たちが社会生活を営む上で色んなコミニティーに参加していますよね。町内会、会社、私のように同業他社の人と共同で仕事をするのもコミニティーでしょうね。私は私であり、人間の男です。それも齢50を過ぎた男です。父であり夫であり家長であります。また、別府鉄道のタクシーの乗務員であり、町内会の一員でもあります。色んなコミニティーに参加しているわけですね。それはそのコミニティーごとにしてはいけないことが暗黙であるのです。
例えば、猿山のボスはメスと手当たり次第に交尾できますが、いくら総理大臣と言えども人間社会では手当たり次第に交尾できませんよね。これが時代背景が異なるとできたのですね。江戸時代の将軍は気に入った女性がいれば、「そちに今宵の夜とぎを命ずる」といえば猿山のボスと同じく交尾できたのです。
立場や時代背景でこの『常識』とやらは変遷しますが、今の時代に生きている限り今の『常識』に従わざるを得ません。さて、この『常識』とやらが中々難しくて、判断に迷うことが多いのです。
判断に迷ったら友達に尋ねましょう。イザと言う時に相談出来る、自分に苦言を呈してくれる友達を大事にしましょう。
アリウムエクセラの友達は常識人が多いし、死線を彷徨った人もいます。きっとあなたが迷った時は適切な意見を言ってくれますよ。