私が不動産屋を辞めた本当の理由。

おはようございます。
製造業の会社は大変な事になってきている模様です。ハルちゃんの会社の亀ちゃんがリストラになるそうです。亀ちゃんは元関西の銀行マンで、本部の融資の部署におりました。そこの銀行が潰れちゃってハルちゃんの会社で番頭さんをしていました。番頭さんをリストラするくらいだから、如何ほどに受注量が落ちているか推察できると思います。如何に融資のプロ、製造業の管理のプロと言えども、私と同年代なので、なかなか再就職は難しいだろうと思います。私の会社のタクシーの乗務員に採用枠の空きがあるかどうか、昨日尋ねたら、まだ2人なら採用が可能だとかです。早速亀ちゃんに、「ウチの会社でよければいつでもおいでね。」と電話しました。もちろん亀ちゃんは2種免許は持っていませんから、2種免許の収得はしないといけないのですが、普通2種は比較的簡単に収得ができるので、最後の砦として頭の中に有ればいいのです。なんと言ってもまだまだ子育てをしないといけないのですから。それに大事なのは、追いつめられた時に助力をしてくれる友達がいるって事です。幸いにも自分のできる仕事で心当たりが有るそうなので、まず、それから攻めてみるとの事です。近い内に一度出会ってランチでも一緒して、一人じゃないよって話そうと思います。困った時にこそ支え合う。これが本当の友達ですからね。その代わりメチャクチャ苦言も呈しますけどね。(笑)この言葉も昔から言い伝えられた言葉ですが、『遠くの親戚より、近くの他人。』
さてタイトルの件です。
私は50才を迎えた時にそれまでの自分の人生と、これからの余生を推察しました。若い頃は自動車の部品用品の営業や旅行社の営業をしていました。子供ができてからは、それじゃ食っていけないので、運転手に転身してタクシーやトラックに乗りました。30代半ばから不動産の世界に転身して、家を売ったり土地を売ったりしました。世はまさにバブルで何千万円もする家や土地が、あたかもスーパーの特売の如く売れていったのでした。そしてその時に家を買った人等はどうなっているのだろう。これからどうなるのだろうと考えてみました。私から家をかってくださった人はだいたいが普通のサラリーマンです。年収が500〜800万くらいの人が多かったような記憶です。これから先この人等はどうなるのだろう。まぁ、ボチボチ住宅ローンも終わり、悠々自適で過ごす。これは全く違いますよね。住宅ローンは終わってもそろそろメンテナンスが必要な頃です。一戸建てのメンテナンスと言えば何百万円もかかります。リホームは断念しても、税金は待ったなしですよね。中流のサラリーマンが年金で月に15〜16万円、年収が1千万円を越えるような人が現役時代に買った家はそれなりの高額物件です。私の暮らす加古川でも、土地が30坪、家が30坪の4LDKの固定資産税は、立地場所によって違いはありますけれど、年額が10数万円。月にすると1万円〜2万円くらいでしょう。固定資産税だけでもそれですから、維持費用全体をみれば、おそらく月額は3万〜5万くらいは必要じゃないでしょうか。現役時代に1千万円を越える人は、そのコストはもっと必要ですし、それなりのお付き合いも有ります。それでもご主人が生きてる間は、元校長先生を例にとってみても分かるのですが、その人の年金は公務員共済で、月額が25万円。それがご主人が亡くなると遺族年金は半額になりますよね。
くどくどと言うのは邪魔くさいので、直球を投げますけれど、平均寿命が長い、しかもご主人より少し年下の普通のおばあちゃんの余生はどうなるのでしょう?今でも介護保険後期高齢者の保険、年金、12〜13万しかない収入で大きな一戸建てで、飢え死・・・・・。こんな姿が見えてしまったのです。私は、もう家売り(不動産屋)や辞めよう。飢え死にするおばあちゃんをこれ以上増やすことに手を貸すのは辞めようと決心して、バスの運転士やらタクシーの運転士に転身をしました。早ければ今年の秋、世界的な大不況が来て、食料不足が深刻になるでしょう。今でも飢え死にする人が出ているのに、これ以上生命を維持することにコストがかかれば、生きていけない人がごまんと出てきます。今の年金で食費が何倍にも跳ね上がれば生活が維持出来ますか?持ち家だと生活保護も受けれません。病気になっても病院にも行けず・・・・。多くの一戸建ては、郊外に広いお庭の一戸建て、とかの甘いうたい文句で購入しています。郊外=交通不便地域です。広いお庭は手入れこそして素晴らしいのですが、手入れをしなければ雑草の温床です。そして残されたおばあちゃんは雑草の処理もできません。おばあちゃん地獄が私が50才の時にイメージした事です。これ以上私の手でおばあちゃんを地獄に落としたくはないので、私は不動産屋を辞めました。大げさだと笑われますか・