なぜにこう世の中はおバカが多いのでしょうね。

おはようございます。
おくりびと』がオスカー賞を受賞して、世はフィーバー(死語?)していますね。関西では無い仕事だから、イマイチピンとこないのですが、霊柩車の運転手をした事のある私としても、なんとなく頷けるんです。霊柩車の運転手も糸での旅立ちのお手伝いですね。故人と家族の最期の一時を共有する訳ですが、これが様々で、ここで書いてみたいとも思ったのですが、ちょっと不謹慎になってしまうかもしれないので、書かずじまいになっています。言えることは、いくら名を上げ財をなした人でも、名もない貧乏をした人も、最期は桐の木のおかんに入ってしまえば、みな同じなんです。人間、生まれるときも死んでいくときも何一つ持って生まれないし、何一つ持って逝けないのです。一人来て一人で去る、これが人の実態なんです。だからこそ私はお金や財産に拘る人生を止めたのです。
それがどうでしょう。お金にこだわり続けて、お金に執着する人の多いこと、お気の毒にと思われずにはおれません。そもそもお金とは手段であるのに、それを目的化してしまっている人の多いこと多いこと。お金を手にすることに執着して、お金以上に大切なものを手放してしまう。絵に書いたようなおバカが多いことには辟易とします。
さてタイトルの件もそのひとかけらかもしれません。数日前の神戸新聞の夕刊に、姫路のはくろタクシーが加古川へ営業所を出す旨の新聞広告を出しました。はくろタクシーと言えば、MKブランドを標榜して、ワンコイン&5000円超半額のタクシーなんです。その安売りのタクシーが加古川地区で100台走らせることを目標としている旨の広告でした。私はその広告を他社の運転手から見せられたのですが、その時丁度寮車のN運転手が待機していたのですが、N運転手にも、「これ見てみ、面白いやろ?」と言って見せたのです。N運転手は私と仕事に対するスタンスや考え方が非常に近いので、私が言わんとしたことを瞬時に理解したのです。私やN運転手ははくろタクシーの進出に何ら恐れをなしません。それはプロとして自身が有るからです。お客様は50円100円安いタクシーよりも、気持ちよく乗れるタクシーを望んでいるのです。私やN運転手はしっかりとお客様のニーズを把握しているし、またそのニーズに応えるべき仕事の仕方も存じております。それに、加古川地区で100人もの運転手を確保するのが不可能で有ることも理解しています。実現不可能な数字を書いた新聞広告の意図するところは別にあるのでしょうが、とりあえずは何台かは走るでしょうが、長続きしないのはわかりきっております。事実先発の姫路のエセMKは乗務員が長続きしないのです。いくら走っても走っても生活が出来るほどのお給料にはならないそうです。これなども会社は運転手を使い捨て、コストとしてしか見ていないのです。姫路MKは同業他社とのお客様の取り合いしているだけで、お客様も社員も見ていません。それは加古川の事業主や、お客を省みない運転手も同じなんです。運転手にしても、来てやっていけるものならやってみという考え方と、えらいこっちゃ、メシが食えなくなると恐れおののく運転手とに別れるのです。私や寮車のN運転手は、如何にして全体のパイを増やすか、自家用車でお迎えに来る人や自転車を使う人、もちろん徒歩通勤の人にどうしたら乗って貰えるようになるかと知恵を使い努力をしますが、いま有るパイを奪い合うお年かしない、おバカな事業者や運転手は恐れおののくのです。それが何十年もプロの運転手として過ごしてきた人に多いのです。何十年も同じ仕事をしても、その理念が間違っていればこおうなってしまういい見本です。だからこそ、アリウムエクセラのビジネスも、私はその理念をやかましく言うのです。理念やコンプライアンス、お金に直接結びつかない部分の重要性を今一度よ〜く考えて下さい。