臓器移植法案が可決

おはようございます。
なにやら景気は底を打ったとか、悪化が止まったとか言われておりますが、本当にそうなんでしょうか?タクシーの売上はさっぱりと上向きません。製造業の中小企業の経営者も半年先がまだ見えない等と言っておりますし、本当に良くなるとは思われません。なぜと言うと、経済の根本的な所での改革がちっとも進んでないし、政治的にも根本的な所で何ら変わってないからです。今回の不況は構造不況ですよね。つまり、病気にすれば今年の補正予算で一時悪化が止まっているだけで、解熱剤で一時熱を下げているだけなんです。病気は何ら治ってないのです。これまでは政府がお金を使って、つまり市場にお金をだぶつかせばなんとか回復したのですが、今回のはそんな小手先の治療ではどうにもならないところにまで来ているんです。経済だけではなくって、明治維新や太平洋戦争の敗戦みたいに、ドメステックな改革じゃないとどうにもならないんです。一日も早くおつむのちょんまげを落として、武士の魂の二本差しを捨てなければダメなんです。価値観の変遷も必要でしょう。輸出主導型の製造業主体の経済構造を買えなければならない時期に来てるのです。それが達成されて初めて経済が回復してくると思うのです。これは私感、それも全く根拠が有りませんが、これからは日本のコンテンツ産業とか環境とか医療・健康・環境などが主導してくるのだろうと思います。また、日本ほど歴史的に見所の多い国は無いのに、外国人観光客の少ない国も珍しいでしょう。つまり、頭脳やノウハウを輸出して外国から観光客を迎える、GDPの主導はあくまで内需型、これだと思うのですが、如何なものでしょうかね。我らがアリウムエクセラも近い将来外国に打って出るだろうし、外国へ出しても競争力は十分だしね。
さて、タイトルの件です。
本日の国会で臓器移植法案が改正されて、15才以下での移植が認められるようになりました。WHOがドナーが不足しているのだから、自国の移植は自国で賄いなさいと言うものだから、日本も右にならえでしょうね。私が考えるのは、15才以下であろうとなかろうと『脳死』=『死亡』として良いかどうかです。私はあくまで『死』とは心肺停止だと思うのです。一度脳死してしまうと治らないのでしょうか?イギリスだったかアメリカだったか忘れましたが、脳死と判定された人が治った症例も有るんです。もし私の息子か娘が脳死判定されても、私はそれを『死』とは認めません。心配が停止するまでしつこく病気と闘います。だって私にはアリウムエクセラと言う味方が有るのです。脳死判定されても消化器が動いているのなら毎日アリウムエクセラを飲ませます。死生観の違いかもしれませんが、人間が死んだ生きたを決めて良いのでしょうか?そりゃ移植が必要な人の気持ちも有るのですが、他人の命を犠牲にして違う命を助ける・・・・。いくら考えても答えは出ません。