せっかく書いたのにぶっ飛びました。(^_^;)

お早うございます。
先ほどまで書いたブログがUP段階でぶっ飛びました。たま〜にこんな事が有るんですよね。何を書いたのかって?昨日から今日にかけての与太話です。(^_^;)
ちょっとはてながおかしいのか私のプロバイダーがおかしいのか接続が不安定な様です。少しづつUPしていきます。
前の文章はだらだらと書いたのですが、要するに今日食べた担々麺が美味しかった事、流星号のタイヤが釘が刺さってパンクしたので新品同様の中古タイヤを4本入れ替えた事などです。まこれはいつものツカミで、書いていてツカミが長すぎると思いはしていたのです。(^_^;)
さてここからが本当に書きたかった事なんです。
ちょっと理解に苦しむかもしれませんが、これは私が感じたことなので率直に書きます。
なんと私はどうやら『悟』を得たというのか、開いたと言うのか、解ってしまったのです。正確に言うと浄土真宗で言う所の信心決定【しんじんけつじょう】と言うのでしょうか。どんな内容かと申しますと、どうしても自分の心から『悪』がぬぐい去れないのです。自分は悪い人間だと心底思い知ることなんです。良い格好とかえらそぶるとか、へりくだるとかではなくて、本心から自分自身の悪を思い知ることなんです。だから自分が偉人になったとか、賢くなったとかではなくて、この世の『自業苦』で苦しんで、一息切れれば地獄行き決定の自分を思い知ったのです。私は私利私欲はある程度押さえられます。そうです『少欲知足』です。『怒り』もコントロールが効きます。『愚痴』も言いません。でも私を裏切った人への『ウラミ』と『怒り』が押さえきることができません。ご存じの通り四苦八苦の四苦は『生』『老』『病』『死』ですね、後の四苦は、『ウラミ』『ねたみ』『愚痴』『怒り』、後の4つのうちの2つがどうしてもコントロールと言うか、押さえることができないのです。私を騙したした人へは、可哀想にとは思うのですが。私は騙されてバカなんですが、騙した人は『悪い種』を巻いているのだから、その報いは必ずやってきます。それも数倍になって自分の意に降りかかります。だれが見ていなくても、おてんとさまは見逃していません。キッチリ記録されていて、そのうちそれが『悪果』となり我が身にかえってくるからです。だから腹が立つより哀れんでしまうのです。そこで止まれば良いのだけれど、事によってはそれが『ウラミ』と『怒り』になってしまうのです。ここで思い出されるのは親鸞聖人の『地獄こそ自分の住み処である』です。地獄行きを免れない自分を思い知った時に阿弥陀如来の有り難さが思い知らされるのです。
その事がとっても有りがたく思えてきて、こんな悪人の私でも救って下さる阿弥陀如来に感謝せずにはおれなくなります。そのお礼の言葉が南無阿弥陀仏なんです。