とうとうやっちゃいました。(^_^;)

お早うございます。
ここのところ私はへこんでいます。友人のOさんの逝去、山城新伍の逝去、そして昨日は加藤和彦、私は昭和30年生まれだから、みんな私よりも年上なんですが、私の青春時代に活躍した人たちです。白馬童子なんて手に汗握って見たものでした。あの素晴らしい愛をもう一度なんて聞くと初恋の鈴江ちゃんを思い出します。『死』と言う物がそこまで迫ってきていると感ぜずにはおれません。ご存じの通り私は糖尿症です。糖尿症の症状として加齢と共に下肢の筋力の低下、自律神経の不調なども顔を見せ出しました。おそらく健康な人の平均年齢まで生きられないと思うと、早く私に課せられた事をしなければと焦る毎日です。私に課せられた事と言うのは、私が受け継いだ日本人としてのと言うか、人としての大事なことを後世に伝えることだと思っております。確かに時代の変遷として変えるべきは変えるのが良いのでしょうが、変えるべきで無いことは変えるべきじゃないと思うのです。殺人事件の3分の一が尊属や卑属相手なんて、明らかに社会が病んでいる証拠です。こういう風に言うと誰も反論はしないと思うのですが、さてこれが個別の問題になるとかなりの反論を呼びます。まずは病んだ社会を構成しているのは人間、それも歴史の長い日本人です。今の人間の祖先は5〜6万年前のアフリカに現れた人間だと言われておりますが、九州のどこかで発掘された人骨は12万年前のものだとか。いつ頃から日本列島に人が住み始めたのかは定かではありませんが、かなり前だと言うことだけは確かです。それも農耕民族です。何万年か何千前かは分かりませんが、そこで引き継いできた社会システムが今崩壊しているのです。私の周りを見渡しても中年や熟年の独身が多いのです。これも病んだ社会の一現象だと思うのですが、今ほど好き放題に離婚がもてはやされるのはやはり変です。
【ここから続き】
まずは古より伝えられてきた大家族制度の崩壊です。産業の中心が農業だった太平洋戦争以前まではお家におばあちゃんとおじいいちゃん、お父さんとお母さん、それに子供たち。兄弟も多くて家の中はいつもワイワイです。それが今はどうでしょう?昔は介護は家族が常識でした。家族みんなで手分けするからそんなに負担でもなく、死ぬ時もみんなで見送ったものです。今の核家族よりも昔の方が私は好きです。私も父をそうやって見とりました。私ら夫婦は共働きで、私の子供たちはリタイヤした両親が子守してくれて成長しました。私が言うのも親ばかですが、私の子供たちは優れた能力は有りませんが、優しさだけは人並み以上の人間に育ってくれました。こういう意味でも亡くなった両親に感謝せずにはおれません。目の前で、自分自身の経験が有るのに私の元妻は私の両親が逝ってしまうと、この世は私のものとばかり我が儘放題を言い出して、それを制止した私から去って行きました。家族を崩壊させておいて、自分の欲しかった家を手に入れたのです。誤解が無いように申し添えますが、私たち加増の住まいは古くても一戸建てでしたし、高齢&私の病気のことを考えて駅近のマンションも所有していました。それなのに3軒目を欲しがったのです。両方とtも元妻の職場へ歩いて行ける距離でした。それなのに自分の通勤用にとベンツを欲しがりました。私は3軒目の家とベンツの購入を制止したのです。どうやらそれが気に入らなかった模様です。私が制止したことは間違いでしょうか?家を欲しがったりベンツを欲しがった時は息子と娘が大学生で年間の教育費が2人で400万円ほどかかっておりました。
ありぃ〜?いつのまにやら私の愚痴になちゃった。(^_^;)
人は諸行無常、生者必滅会者定離、一寸先は闇なんです。自分の力一杯の買い物をしちゃうとイザ何かあった時に対処が出来ません。当時から今の世の中になるの経済学を学んだ私には予見していました。だからこそ3軒目の家やベンツを断念させて、子供の大学卒業を待ったのです。今でもこの判断は間違っていないと思っております。
元妻は恩を仇で返したのです。もちろん子供たちはしっかりと見ております。
残された私の余命は先ほども言いましたが、祖先より受け継いできたことを後世に伝えることと、私の子供らに筋を通した生き様を見せることだと思っています。だからこそ自分自身で『昭和生まれの明治男』とキャッチコピーを付けております。
しかしこんな事を言いはなっていたらば、再婚なんてできませんよね。(T_T)
イケメン、ちょい悪オヤジ、お金持ち、私には女性の好む要素は何もありません。でもイケメンが貴女を幸せにしてきれますか?玉の輿に乗って大金持ちと結婚して幸せになれるのでしょうか?私はちゃんと私の言うことを真摯に聞いて私と一緒に歩むのならば絶対に幸せにする自信はあります。幸せは容姿やお金でGET出来るののではないのです。