『以和為尊』

お早うございます。
またバスが燃えましたね。これまで燃えたのはドイツのネオプラン、そうですベンツのマークを着けたバスが多かったのですが、今度のはそのバスの形からし三菱ふそうの古いバスみたいでしたね。乗用車でもBMWは古くなるとよく燃えるし、バスもドイツ製は古くなるとよく燃えるのです。その点国産のバスは古くても燃える事なんて少ないのですが、今度のはどうなんでしょうね?私が夜行バスを嫌う理由はまさにこれなんですよ。夜行の格安長距離バスに使われているのは、NoX規制区域外のバス会社が保有する古いバスで、それを何時間も高速道路を走るのですから、内情を知っている私は恐ろしくてそんな物に乗っていられません。安ければ良いとばかりに、そんなバスで夜中に乗っていて、燃えちゃって・・・・。おぅ〜怖・・・・。
さてタイトルのお話なんですが、今の日本人でこれを読める人、意味が理解できる人はどれくらいるのでしょう?これが我が社の社長の思いなんです。これは聖徳太子の定めた日本初の憲法の第一条、17条憲法の第一条で、和を以て尊しと為すと読みます。今こそ日本人に一番求められていることではないでしょうか?ここで問題なのは『和』なんですが、私の考える和とは以下の如きです。
「上下のものが仲睦まじく、事を論じ合えば、理が通るようになり、そうすれば何事も出来ぬことがない」に同意するものです。つまり、物事は理(ことわり)を以てなされるべき、その理は議論から生まれるものではないか。そのような議論のできる場そのものが「和」であり、それが正しいコミュニティであると信じる。忌憚なく話し合えること、それが議論であると信じます。
他者の考えを理解することが他者を認めることに通じ、それは自らが他に認められることでもあと。
それは議論なくしてあり得ないものであると考えます。
それがコミュニケーションであり、正しいコミュニティであると。
どうでしょう?気がついた者からこんな社会を目指しませんか?